No 11656

リーディング for すずきすずよ
2010年3月24日(水)

Question 1

今年2010年の新年会の色紙に「十字架のヨハネと共にあった人」というお言葉をいただきました。今、この時期にこのお言葉をいただきました意味とその内容の解説をお伝えください。

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新年会の色紙などARIにおいていただくお言葉が外れるという事はありません。ただその場合、文字通り、お言葉通りであることと象徴的な意味合いであることと、この二通りが有り得ます。

具体的に今回貴方がいただいたお言葉に当てはめて説明するならば文字通りということはつまりスペインの前世において実際に貴方が十字架のヨハネと共にあったという事実があった、これが文字通りの意味です。

もうひとつお言葉をいただいて有り得るのは外れているということでは無いのですが、もっと広い意味合いで前世においてスペインで十字架のヨハネと一緒にいたというよりも、現在、さらには時を越えて十字架のヨハネと同じ方向で学んだり取り組んでいる、十字架にヨハネの側にいた人、十字架のヨハネのしていたことを始め、その実体が生まれ変わりながら行なってきたことを理解し、大きな観点でその側に身を置き続けている人、そのような意味合いです。

今、この文字通りか象徴的かの結論を述べる前にもう少し話しを進めます。

例えば90人参加した席の中で「十字架のヨハネと共にあった人」このお言葉が当たっている人が10人いたとしましょう。その10人の誰でもが引いても当たっている訳です。

では、90人の該当者のうち誰にその一枚が行くのが神様のご意思なのでしょう?

それはただ当たっている当たっていないという事を越え、今年の2月の時点でその事を知る必要のある人の所に行きます。

他の人たちは既にスペインの十字架のヨハネと共にあった事を知っているので、そのお言葉をいただく必要性がありません。

或いは事実、一緒にいたけれどもまだ気づいていない、しかし今年はまだ気づくべきではなく、例えば三年後にその事に気づく必要がある、そういう人は気づいていないけれども今年はそのお言葉はいただけません。

貴方は時期的に今年の2月に知る必要があり、それが今後の貴方の人生やARIでの学び、また使命を遂行したりカルマを果たして行く上で役に立つので、神様が10人の中の貴方にそのお言葉を賜ったのです。

事実としてそうであったかというだけで無く、このような事があるという事です。或いは人によっては十字架のヨハネと共にあったけれども、今世では最後まで知らないほうが良い人にはその言葉は知らされないままで終るでしょう。

貴方は知る必要があり、知るとためになるのです。これからの貴方の生き方や学びや使命を遂行する上で知るとためになるので、貴方に行き当たりました。

ちょうど貴方の学びや模索の中でタイミング良く絶妙にその事が知らされ、貴方はハッとさせられ、感ずるものがあり確認も出来ました。例えばそのお言葉をいただかなかったらこのリーディングも受けなかったかもしれません。例え受けてもこの質問は無かったはずなのです。

そのように人間の運命というものを見る場合、起きる事でその後の自分の動きや体験が左右されてきます。その全体を神様が導かれています。

ここで解釈ですが、まず、重要なのは現時点において十字架のヨハネであった実体と共にある、という事です。ARIとのご縁をいただいて、ある程度の学びを授かり、自分の中に落ち着きや確信を得られたところでのこの啓示でした。

例えば、去年ではちょっと早すぎたでしょう。来年では少しタイミングを逸し、ことさら来年にいただくほどのお言葉では無かったのです。ちょうど波に乗って、ほど良い時期にいただいて後押しになります。

また次の質問とも関連する事ですが、貴方が普段信仰し学んでいる所との関連で、貴方自信も十字架のヨハネという事は聞き知っており、それがひとつの準備になってARIにも導かれ、暫らく学んで確信を得て、会員さんとのつながりも出来てきたところで、さらに学びを深めようとしていたところでした。

やはり自分は十字架のヨハネとも一緒にある、そのような実感が湧いて来ています。

共にあるという意味は一緒に活動する、一緒に学ぶ、さらに十字架のヨハネのしている事に賛同している、その側に身を置いている、味方である、立場がほぼ同じである、そのように無縁ではなく、その周囲に身を置いて理解し賛同し支えている、体験を共有している、心も理解し合い共有しあっている、それが共にあるという意味です。

何れにせよ、十字架のヨハネの系統に貴方は身を置いており、いつもいつも一緒に生まれ変わって来たという事でなくても、大筋の流れとして十字架のヨハネが辿ってきて、さらにそれ以上に、これから辿って行くであろう方向に身を寄せ、そこでカルマを解消し、成長を遂げ、使命を遂行し生まれて来た目的を遂げられる、勿論、貴方が普段信仰している所は貴方にとって主軸なのですが、それと共にこのARIの系統でも学ぶとさらに得られるものがあり、特に貴方にとって必要であるという事が示されたお言葉でした。

そして実際、普段学ばれている所でもスペインの十字架のヨハネとその先輩であるアビラのテレサの二人は神秘主義の観点でも、霊体験の面でも高く評価され、その教えの一部として出てくるのです。

それによって貴方は具体的に実際の十字架のヨハネに会うようになり、神秘的で奥深い神の奥儀を聞き知る機会を与えられました。

では実際に4〜500年前のスペインに貴方は生きていたのか?確かに貴方は文字通りの意味でも生きていました。貴方の中のキリスト教的なものがあるのです。そうであるからこそ基本的にキリストの系統であるARIに入ってきて馴染めるのです。

ARIは超宗派であり系統を超えた根源的なものを志向しています。それでも本の系統というのはキリスト系です。貴方の中にキリスト系がもし無ければONEという根源的なものを志向していても、ここまでは馴染む事は難しかったことでしょう。

そしてその前世の根拠がスペインの前世にあったのです。そしてその時に主に貴方が親しかったり、共に励ましあった者たちがARIに大勢いたのでARIに引き寄せられ、そしてARIの中でもお友達や仲間が出来やすかったのです。

何故、自分はARIに馴染めるのだろうか?自分の性格が外交的で人と仲良くなりやすいからだけなのだろうか?それは改変なく貴方の中に当時のお友達や知り合いがARIの中にいたから直ぐに親しくなれたのです。

貴方が十字架のヨハネというお言葉をいただいたことで、これを機にスペインの神秘主義を学んでいく事でしょう。それがまた貴方が大筋として学び信仰を深めてきていることを肉付けして、それを完成する上で役に立っていく事でしょう。

全体を根本の神様が導かれ貴方はそのように仕込まれ育成されつつあるという事が、このひとコマでも顕かになりました。

Question 2

今世においてARIにご縁をいただき深い学びを得、その教えに心より惹かれております。前世においてARIとのご縁がありましたらお教えください。

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貴方が普段学び信仰しているT神社の方々とARIは、生まれ変わりにおいてはそれ程重なり合ってはいないのですが、霊的な系統やその持っている特質はかなり似通っています。

さらに社会的に果たすべき役目、立場、目指す目標はほとんど同一です。そのために貴方はARIにも入って来ることが出来ました。そればかりでは無くARIのほうの生まれ変わりとも貴方は重なっている部分がありました。T神社の方々の生まれ変わりの中にも勿論貴方を見出すことが出来るのです。

その一番目は具体的に言うと鎌倉時代初期です。京都の方と関東の方と両方に地縁がそれぞれのグループでありました。貴方自身は京都などの関西との地縁は当時見出せません。貴方は鎌倉時代、関東の人間でした。

栄西は中国の宋に渡って禅を日本にもたらしました。九州、福岡、それから京都、鎌倉幕府といったように栄西は幾つかの拠点を持って座禅を本格的に広めていました。貴方は完全な内弟子ではありませんでしたが、道を求める心が強く、噂を聞き知って座禅の修養に連なったことが何度かありました。栄西は鎌倉でも武士たちや公家たちの座禅の指導をしていました。

貴方は道を求める心が大きかったので当時、関東で活動を始めている僧侶は珍しかったのですが、念仏系の親鸞の活動を耳にする機会もありました。

親鸞は鎌倉幕府を避け、その周辺地域で念仏の信仰を伝えていたのです。貴方は栄西の臨済宗を学びながら、若き親鸞の念仏の信仰の噂を聞き知って学ぶ機会があったのです。

日蓮や一遍はさらに後の時期に関東で活動するようになりました。貴方は日蓮や一遍ほど後の時代では無かったので、栄西や法然そして法然の系統の親鸞と直接交わるようになりました。

法然は貴方は直接は知りませんでしたが、というのは法然の地盤は関西だったからです。それでも法然の噂は聞いていました。現在のFさんです。

貴方は親鸞の真摯な信仰の中に深い教えを見出し大いに参考にしました。そこでご縁が生じ、次のスペインにも共に生まれ変わっていくご縁が結ばれました。

貴方はカトリックに関して根本の神様ということで共鳴していました。十字架のヨハネから教えを受け、その周りのシスターたちと共に学ぶようになりました。

鎌倉時代前では古代のエジプトにおいてアクナテンが多神教から一神教に基づく宗教改革を行なっていた時代に生きていました。その時がARIのグループとの最初のご縁でした。

貴方は当時、彫刻を手がけていました。美術方面で自分の腕を磨きました。アクナテンのエジプトの国で宗教が変わった事を芸術を通して人々に知らしめる、その芸術表現が採用されていたので、貴方の信仰に対する熱意と芸術的な可能性が目に留まり、貴方は新しいひとつなる神様を芸術的に表現するため働くようになりました。

貴方はインドに生きていた事もありましたが、それは竜樹の時代です。その後を追うように唯識の世親が登場し、それがARIのグループソウルを成しています。その時は世親の時代というより、その前の竜樹の時代のインドでした。

また平安初期にも生きており、これもT神社の系統のほうの貴方の生まれ変わりです。

特徴としてはT神社のほうがたいていの場合早くに手がけ、その後に出てきて教えを完成させ仕上げる役目をこのARIのグループが引き受けているという事です。生まれ変わりでもしたがって少しずれて後の時代に活動が引き継がれているのです。直系の中というより、その周辺で独自に引き継いで完成させることを行なっているという関係にあります。

Question 3

(省略)

Question 4

2010年2月11〜15日に国立のコート・ギャラリーに於いて無事に13回目の個展を終える事が出来ました。来客数こそ減少したものの、お客様とのあたたかい大切な交流が多くございました。今後、創作活動におきましてはこれまでのスタイルで良いのか、あるいはどのように活動していったらいいのか具体的にお教えください。

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変えないほうが良さそうです。今までのものを一貫した姿勢で続けるのが良いのです。

一貫性を基本にしつつ、その中で時代状況やニーズ、あるいは貴方の成長や変化に応じて自ずと変わる部分が変わるという事ならばそれは良いのです。しかし基本方針とか自分のスタイルとかは変えないほうが良いのです。

自分ならではのものを大切にすることです。自分にしか出せないものを丁寧にひとつひとつ仕上げていくことです。

自分に与えられた使命とは何なのか、そのことを思いいたす時です。自分の腕を磨く、技を磨く、もっと根本のところでは自分という素材自体を磨く、仕事上の技術とか技を磨くばかりでなく、自分という素材そのものを磨く、作り上げる、整える、さらに生活も整える、身体と心の健康にも留意していく、人間関係や環境も整える。

いつでも万全の態勢で気持ちよく仕事に打ち込める、そのようなことのために信仰があり、また教えを学んで指針にしているわけです。

自分やその周りが整い良くなってくれば、そして健全な目標や願いを持って神様といつもつながらせていただいていれば、自分という素材が目一杯活用されます。また、目一杯活用されるような状況や機会が与えられます。そしたら、すかさず与えられた機会に感謝して充分に機会を活かさせていただくことです。

そして感謝し、超作で捧げながら無心になって取り組んで、一体化して挑んでいけば、神様が導かれ最善の結果を授けて下さります。

そのようなプロセスで貴方自身が成長を遂げ、自ずとカルマも解消し、自分の限界自体が打破され、今まで以上の仕事が出来るようになり、喜びや確信、感謝が湧いてくる事でしょう。貴方のものが良いと判り、そして評価して下さるお客さんを始め、仕事でつながっている方々ともに、それらの方々に素直に感謝し大切にさせていただいて共に歩んでいきましょう。

リーディングを終了します。

リーディングを受けて感じたこと

2007年に浅野 信先生のARI(浅野総合研究所)でリーディングを受けさせていただき、翌年の2008年から会員にさせていただいて、より深くこの世界の真理について学ぶ機会をいただきました。そうした中でARIの新年会で「十字架のヨハネと共にあった人」という色紙をいただきました。それをこのリーディングでお聞きしています。

以前から個展に足をお運びいただいていた方々は、会場でいつもゲレゴリオ聖歌を始めとする聖歌集をバックミュージックにして、教会でも使われるフランキンセンスという香油を焚いていたことをご存知でしょう。古典技法絵画を学びながらイコンの模写も多くしています。その自分の好みを考えても、自分の中にキリスト教的なものもあるのではないか?そう思っていました。

このリーディングでは個人的な生まれ変わりだけではなく、グループ的な生まれ変わりも語られています。今世で友達や仲間としてどういうわけか親しくなり、活動を共にしている周りの人々は、かつての友人であり仲間なのです。家族もそうです。もっとも身近にいる人々はグループとして共に転世していることが多いのです。だからこそ課題もまた多いのです。

自分だけではなく周りの人々との関わりの中でこの世のこの時代、この場所に生まれ変わって来ているのです。これらすべてを地球規模、それを超えて宇宙規模で統括している大いなる存在を考えると眩暈がしてきます。

それぞれに異なった時代に生まれ変わりしながらも、今回同じ時代、同じような地域に生まれ変わり、ここでこうして集ってご縁をいただいているのです。まことに不思議としか言いようがありません。人智を超えた御業です。

自分の魂のかけがえのなさに気づかなければいけません。また同時にすべての人々も等しくかけがえのない魂の存在であると気づかなければいけません。そうすればお互いを尊重し、差別をなくし、地球の同朋として愛することができるのです。

こうして主だった私の過去世が少しずつ開かれてきています。これは私個人を通して全体を理解しようとする試みでもあると思います。誰でもこのように流転し成長を重ねる魂をその身の内に抱いています。それに気づく時です。人間は肉体の次元だけの物質的存在ではなく、霊や魂を持った多重次元で存在するものであると気づく時期です。このようなリーディングが広く開示されることもまたそのような流れの中で起きることなのでしょう。

(すずきすずよ)